シェルビー デイトナ クーペ 入庫いたします。 シェルビー デイトナ クーペ ..
翌1965年はワークスカーとしてガーズマン・ブルーのシェルビーアメリカンカラーに塗られ、2月のデイトナで総合6位入賞。3月のセブリングでも13位完走を果たした。ル・マンは欠席し、1965年はニュルブルクリンクに出場している(この時は12位)。
1/24 グンゼ改造 シェルビーコブラデイトナクーペ 製作開始
まだ制作中で色も塗られていない工場内のモデル。このクーペの写真を見て、あれ? と思った人はさすが。このマシンはシェルビーの手によってコンプリートされた唯一のディトナコブラで、他のモデルはすべてイタリアのカロッツェリア・グランドスポーツの作品である
当時のグランプリの公式プログラムがある。しかしエントリーリストに酒井 正の名も、またデイトナコブラの名もない。レース出場車として紹介されていたのは三保敬太郎のエントリーしたACコブラロードスターの写真が掲載されているが、これは出走していない。酒井はグランプリのエントリー締め切り1カ月前というタイミングで出場を表明したそうで、プログラムの作成には間に合わなかったということであろう。
グンゼのデイトナコブラを久しぶりに手に入れました。 高校生くらいの頃、新製品で買って作ったキットです。ヤフオクで購入しました。
このアイディアは見事に結実し1964年のル・マンでは宿敵フェラーリ250GTOを打ち破り、総合4位、GTクラスのウィナーとなった。そんな貴重なマシンがチャンピオンを取った翌年の1966年に日本へとやって来たのである。第3回日本グランプリに突如として姿を現したデイトナクーペは、酒井 正(敬称略、以下同)のドライブで雨の予選こそ最下位に沈んだものの、スタートでその大排気量のパワーを活かし、ストレートで一気にトップに躍り出た。その後2位を走るもまだまだハイパワーマシンを御しきれなかったのか、レースではエンジンを壊してリタイアしたが、そのスピードの片鱗はたしかに見せつけた。
1965年にデイトナ2000km、セブリング12時間耐久などに出場したゼッケン12号車のマシン
ラジコン First Mini-Z シェルビー コブラ デイトナ クーペ
まあ、スポーツカーと言ってもほぼレーシングカーという方が正しい。当時同じカテゴリーでレースをしていたのがフェラーリ「250GTO」。これを打ち破ってのチャンピオンなのだから価値がある。もともとロードスターのACコブラ(ハードトップ付き)でル・マンにエントリーしたシェルビーは、長い直線のトップスピードがフェラーリより劣ると判断し、当時シェルビーに在籍していたピート・ブロックに空力性能に優れたクーペボディのデザインを指示。結果出来上がったのがこのクルマだ。
今回ご紹介するのは「デイトナコブラ」というクルマである。正式名称は(シェルビー デイトナ クーペ)と呼ぶようであるが、ロードスターの「コブラ」をベースにクラスのスポーツカーに仕立て上げたもの。年のマニュファクチャラーズのチャンピオンを獲得したマシンでもある。
スーパフォーマンス製『シェルビー・デイトナ・クーペ』を取材しました。 ↓以下はスーパフォーマンスの公式HPからの転載です。
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第14回目はトミタオートから購入したシェルビー「デイトナクーペ」を振り返ってもらいました。
Shelby Collectibles 1965 シェルビーコブラ デイトナ クーペ #98 レッド ホワイト ストライプ 1/18 ダイキャストモデルカー
1965 シェルビー コブラ デイトナ クーペ ブルー #98 1:18
この本は、キャロル シェルビーの伝説的なコブラのデイトナ クーペ バージョンの魅力的な歴史を、製造された 6 台の車のうちの 1 台に特に焦点を当てて説明しています。 ルックスとパフォーマンスの両方において野心的な目的を持った素晴らしいデイトナ クーペは、FIA 世界スポーツカー選手権で優勝するために作られ、1965 年に正式に優勝し、フェラーリを大排気量クラスで破りました。 この本で詳しく取り上げた特定の車、CSX2300 は、5 回のチャンピオンシップ ラウンド (1964 年に 1 回、1965 年に 4 回) に参加し、シェルビー アメリカンのユニークなチームの成功に貢献しました。 まさに「偉大な車」の 1 つであるシェルビー コブラ デイトナ クーペは、この絶賛された本シリーズに加える価値のあるものです。